今回は、アリババを創業したことで世界的に知られる起業家・ジャックマー氏をはじめ、中国の有名起業家たちの高考の成績を見ていこうと思う

皆頭いいんでしょう

その逆だよ。学生時代は「落ちこぼれ」というレッテルを貼られた人が、後に大事業を大成する事例は、歴史を見ても世界中に転がっている。そういう意味でも、教育って何なんだろう、と思わせられるね

高考(ガオカオ)とは

中国のセンター試験にあたる「高考(ガオカオ)」。毎年900万人以上が受験します。

高考の試験結果(点数)により、入学できる大学がほぼ決まってしまう点からして、日本のセンター試験以上にミスると挽回が効きません。

中国はスーパー学歴社会です。学歴によって、そこから開けるキャリア及び収入に明確な格差があります。

1年に1回(大体6月に全2日間)実施される高考に、自らの将来を賭けて臨む、そのプレッシャーたるや想像に難くありませんね。

FileⅠ:馬雲(ジャックマー)【受験回数3回】

中国の著名起業家、と聞いてまず誰しも最初に頭に浮かぶのが彼でしょう。中国の最大ECサイト・アリババグループの創業者、馬雲(ばうん・ジャックマー)です。

理数系が苦手

学生時代は理数系が苦手でした。

1982年、馬雲が18歳の頃に最初の高考を受験。受験グループ50名の内、数学の成績は常に40番以下。

数学の点数が1点

しかし馬雲は、高考に対する(根拠のない)自信があり、何と国内最高峰の北京大学に出願をします。しかし結果は、数学の点数がわずか1点。北京大学と数学1点とあまりの落差に気落ちし、馬雲はすぐに方向転換、職探しを始めます。残念ながら、当時の馬雲を雇ってくれる会社はどこにもありませんでした。

そこで2回目の高考へ向けて準備を始めます。2回目の数学の結果は19点。初回と比べて進歩はしているものの、あまりに大学入学の水準とはかけ離れています。

努力で弱点を打開・覚醒へ

そんな彼を見かねて父が励まします。激励を受けて、3回目の高考では、何と数学で79点を獲得します。しかし合計点数でなんと5点足りずに、3回目も失敗に終わり…そうだった時、やはり努力は最後には実るのですね、3回目の高考の年はたまたま、杭州師範学院が英語科を立ち上げたばかりで、高考の英語成績優秀者を招き入れる機会があったのです。このチャンスを馬雲は見事に生かします。

杭州師範学院にて馬雲はいよいよ覚醒します。一挙に成績優秀者に名を連ね、外国語のクラスでは毎回TOP5入り。なおこの時に知り合った勉強仲間が、後の奥さんになる張瑛さん。アリババ創業を支える人物です。

いやはや、何が起こるかわかりませんね。そして努力は必要条件なのですね。

FileⅡ:俞敏洪(ユーミンホン)【受験回数3回】

日本ではあまり馴染みのないこの方、名前は俞敏洪(ユーミンホン)といい「新東方」という中国では知らない人はまずいない、超有名な英語専門予備校を創業した方です。

元来英語が苦手

しかし彼は高考の受験生だった学生時代は、英語は一番の苦手科目でした。

1978年、彼の最初の高考での英語の点数はわずか33点2年目は55点

続けて2回の失敗に、ほとんど諦めかけた俞敏洪に、お母さんは高考の英語専門補習校へ通わせます。

補習校時代に覚醒 

俞敏洪の英語能力の覚醒はこの補習校時代からスタートします。毎朝晩、必死に復習を重ねて、それがやがて彼の自信につながっていきます。志望校も無名校より、北京大学へ変更します。

1980年、3回目の高考の受験。なんとこの年の英語の試験で、たった試験時間40分(全90分)で答案を提出して、退出してしまいます。このことは補習校の先生に大変叱られますが、なんと結果は英語95点。総合点387点で、北京大学の必要点数380点をクリアしてしまいます。もちろん北京大学へ進学。

北京大学時代に英語塾を開講

北京大学時代に、俞敏洪は自らのビジネスの才能を開花させ始めます。卒業後、俞敏洪は就職せずに大学に残ることを決めます。そして何人かのクラスメートに向けて校外で英語塾(授業料を取って)を開始します。この頃の様子は、中国の大ヒット映画「中国合伙人」にも描かれています。

これを見かねた北京大学側は、俞敏洪に公開処分を下します。理由は「北京大学の名声を利用して、身銭を稼ぎ、大学秩序を乱した」とされました。しかし北京大学側の処分も俞敏洪には影響せず、そのまま英語塾の事業は継続します。そして北京大学を辞めて、正式にビジネスの道へ舵を切っていくことに。

その2年後に、新東方学校を北京へ設立します。

FileⅢ:陳偉星(チェンウェイシン)【受験回数2回】

この方も日本では馴染みがありませんね。上記2名と比べるとかなりの若手です。「快的打车」というタクシー配車アプリを開発した方です。中国ではウーバーを使う人はまずいません。

高考本番で爆睡

18歳の年、陳偉星は初めての高考に挑みます。しかし試験本番前の深刻な睡眠不足が原因でなんと本番で寝てしまうのです。眠ること約50分。このことの代償は第一志望校の不合格です。

しかし滑り止めの大学には受かったので、とりあえずそこに入学します。後のライバルになる「滴滴(ディーディー)」の創業者・程維(チャンウェイ)は学友です。
(※現在、快的打车は滴滴との戦争に敗れて、サービス終了しています)

大学3年にソフトウェア開発で起業

3か月後、やはり滑り止めの大学生活に満足ができず、自ら退学。改めて高考を受け直す準備をします。結果、2年目は陳偉星の実家のある浙江省の大学、浙江大学に入学します。大学の専攻は土木でしたが、その頃から趣味で「プログラミング」を開始。暇な時間はプログラムの開発に明け暮れます。

最初のアプリ開発の構想計画は、ホテル・レストランの情報/サービス内容をリアルタイムに地図に表示させて、近隣のユーザーを誘致、マッチングさせる、というものでした。その後、大学3年時に起業。初期メンバーはわずか7名、資本金は17万元(約270万円)でした。

資金集めに難儀・解散危機

しかし何ら実績もない一介の大学生が、外部からの資金調達は困難で、何とか初期の17万元だけで1年持ちこたえるものの、1年で資本金は使い果たし、5名もの初期メンバーが離脱してしまいます。もはやほとんど解散の危機でした。

大逆転ホームラン

しかし転機はもっともピンチの時に訪れます。2007年に開発した「魔力学堂」というSNSアプリがヒットします。(有名学校の生徒同士の交流場)そしてある投資家が、この魔力学堂になんと120万元も投資を決めるのです。

ここから事業は軌道に乗り、魔力学堂は1年で2000万人ものユーザーを獲得します。そして間もなく「快的打车」を開発することとなるのです。

以上です。
今回は3名もの著名な成功した起業家の実例を「高考」をベースに見てきました。全ての方に言えるのは、全員最初は失敗からスタートしている、という点ですね。いかに乗り越えるのかが勝負なんですね。

 

今回は以上です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!